18年前の僕は、大学4年生で京都市の中心部に住んでた。
ちょうど、卒業試験の当日やった為に俄か徹夜で試験勉強をしていて
ちょっとだけ横になろうとベッドに横たわって暫くしての地震やった。
当時は彼女やった嫁さんが四国におったんで早朝にも関わらず
四国の嫁実家に電話して無事を確認してから朝が明けるのをまって
大学に今日からの試験があるかを℡で確認した記憶がある。
結局、この週は学校は臨時休校になったお陰で僕は勉強できたっけ。
部屋に熱帯魚を飼っていた小さな水槽があった、地震で水槽が倒れて
しまって片付けた記憶がある。
あれから、18年なんや。まだ、あの頃の記憶はかなり鮮明に残っている。
自分の卒業~就職・引越しっていう大きな人生の変換点と重なっているって
いるっていうのもあるんやろうな。
京都から四国へ引越しする時も阪神高速は勿論通行止めやって国道を
通り抜けて姫路方面へ走ったっけ。
民家の屋根もほとんどがブルーシートで応急補修していて、電車も止まって
たからバス停で長蛇の列やった記憶がある。
神戸って京都から近かったから、よく嫁さんと週末の土曜日になると深夜に
六甲へドライブに行ったり、帰りに国道沿いのラーメン屋へ行ったり、モザイクに
行ったりと好きな街やったんでショックやったなあ。
あの時は、もう元には戻れへんねやろうなって思ったりもしたけど人間って凄い。
ちゃんと復興してる。
今あるのが当たり前につい思ってしまって、嫁や子供たちにイライラしてる自分を
戒めなあかん。
今があるのって、やっぱり当たり前とは違うんや。ありがたい事なんやって。
震災で犠牲になられた方々が毎年教えてくれるように思う。
毎日、きちんと生きよう。
さあてと、今日は7時半からPTAの役員会や。がんばろうかな。
合唱
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